昨夜のわたくし -8ページ目

シリーズ 昨夜のわたくし(7)

昨日の夜、地下鉄東西線でまっつぐ帰宅しようとしていた筆者であるが、東西線車内で突然傘でシバかれ、
「なにすんじゃ、われ!!」
と思ってふりむくと、
5年前に会社を辞めた同期がニヤニヤしながら、
「よう」
と言うのであった。

この男九州熊本の出身で、大酒飲みである為、筆者とは昔から仲が良く、昔からふたりで飲むと大変なことになるのであった。
従って、当然の如く1秒で話がまとまり、飲みに行く事になったのである。


筆者は皆様よく御存知のように飯田橋在住であるが、この元同期は早稲田在住なので、中間の神楽坂で飲むこととなった。神楽坂といえば沖縄である。


初手からボルトである。当然あっという間になくなる。次のにゅうボルトである。

その間に、

・ 麩ちゃんぷる
・ ポークたまご
・ 沖縄やきそば
・ 紅芋コロッケ
・ 豚肉キャベツ味噌炒め
・ 島らっきょう
・ グルクンからあげ


等をやっつけつつであるが、これ以降一時的に記憶がとぶ

この後記憶がよみがえるのは、ソーキそばを食している時である。

勘定で再度とぶ。

二人25,000円

である。

「はあ~!?!」

である。
気配を察した店のオッチャンが
「すみません、ボトル2本ですので」
とおっしゃる。
「えっ?」
である。
知らんうちに2本目のボルトを完飲し、3本目突入だったのである。

ボルトだけで12,000円である。


その後当然の如く近所のショットバーに二人で乗り込み、岩じんを3発ほどやっつけたのは許すとして、なぜ味噌ラーメンを食ってしまうのか、筆者は?
しかもたまご入りで!!


これだから、九州男と飲むのは怖いのである。

わたくしとフランスの関係

先日筆者が秒殺的にかえる嫌いになった事をお伝えしたばかりであるが、今回の遠征中に更にかえる嫌い度が高騰したことを、ここに報告せねばなるまい。


他でもない、またしてもパリの空港でのことである。

筆者がチュニスからようやくパリに到着し、乗継ぎカウンターでパリー成田の搭乗手続きをしようとしたところ、超長蛇の列である。
通路まであふれてやがんの。
まあ、その列自体はエコノミーの客の列なので、筆者的には当然の如くFirst/Businessと書かれた窓口に並んだのであった。

First/Business窓口には2人しか並んでおらず、

「エコノミーはかわいそうよのう」

と、内心超優越感に浸りながら2人の後に並んだ筆者であった。


ところのがぁである。ハウのエバーである。

筆者の一人前に並んだ何人だか判別不能な毛唐(以下“前毛唐”)がもめていやがるのである。
英語でしゃべっているので、少なくともかえる族ではないようである。
「予約は明日になっている」とか言う声がもれ聞こえてくるので、強引に予約を当日に変えようとしているのであろうか?
いずれにせよ15分ほどおとなしく待った筆者であった。

その間、筆者の後ろに並んだ韓国人だか中国人だかの東洋人2人は、前に並んでいる筆者を無視して窓口に詰め寄り、かつ前毛唐の話に割り込み、手続きをしようとするが、当然完無視、あまりにしつこいので、ケンもほろろに

「列の後ろに並べ!!」

である。
この判断は正しい。
こういうプレイをこくから、東洋人はバカにされるという議論はここでは横に置いておく。

ここで読者が認識しなければならんのは、筆者の我慢強さであるが、更にもう一点認識する必要があるのは、隣の窓口が未使用で空いているということである。

前毛唐ひとりの問題で20分以上が経過した頃、さすがに待ちかねた筆者は超丁寧な正統英国英語で、

「こっち空いてるやんけ。こっちも使えや。」

と申し入れたのであった。
かえる族はひとこと

「ノー」

である。
まず“ファーストざけんな”である。

そうこうしているうちにFirst/Businessの列も長くなり、列の後ろの方から白かえる族がかえる言語でなにやら言うた途端窓口の婆あは同僚を呼び、隣の窓口をオープンしやがんの。
これは、ラッキーと同時に“セカンドざけんな”であろう。

思わず日本語で、

「おのれら殺すぞ、ボケ!!」

と叫ぶ筆者であった。

結局エコノミーの超長蛇の列の最後尾にいた東洋系美人はとうの昔にいなくなっていたので、エコノミーより時間がかかったことになる。

筆者は、ここまであからさまに東洋人を見下す人種を他に知らない。
しかもかえるのくせにである。


もうひとつ。
ようやく成田に着いたはいいが、筆者の得意のシールべたべた”Priority”スーツケースが出て来ないのである。
さすがに日本の航空会社ゆえ、通常はまっさきに出てくるので、間違いなくかえるが、パリでワザといっちばん奥に入れたに違いない。

ほんまかえる族はあかんわ。

大っ嫌いじゃ!!

観光地とわたくし

これまで筆者は、幾度かチュニジアに出張する機会があり、その際はほとんどホテル-オフィス-現場を行き来するだけであった。
ところが今回は、おっちゃん達がいろいろなところへ行きたがり、例えばこんなところにも行ったのである。↑(上の写真参照)

ちょっと待ったらんかい!!わし、今までこんなところあるなんて知らんかったでえ!!

後ろに見えるのは勿論地中海である。
んでもって、ここはどこかというと、

カルタゴの遺跡

である。紀元前に栄えた都市国家フェニキアを、ローマ帝国が戦に勝ってブチ壊した跡である。

ここで筆者が何を言いたいかというと、かつて栄華を誇ったかかる美しい土地も、ローマに破壊され、オスマントルコの属州となり、挙句の果てにはかえるの植民地になってしまうのである。
諸行無常である。盛者必衰の理(ことわり)をあらわしてしまうのである。
隠そうと思っても、教養が鼻水のようにほとばしり出てしまう筆者である。
という事は、本当はどうでもよく、観光したったというシンプルな自慢である。

尚、土産がないとタワケた事をぬかしている軍団員が若干いるが、うるさいのである。買うたけど、屋敷にワザと忘れてきたのである。

アルジェリアとわたくし

ところでアルジェリアである。

アルジェリアは、かつてフランスの植民地であったが、1962年に独立した国である。

おそらく軍団員の一部は酒ばかりくらっており、古い映画を観るような高尚な趣味は持たないであろうが、アルジェというのはジャン・ギャバン主演の不朽の名作「望郷」の舞台となった街である。ちなみにアルジェはアルジェリアの首都である。

「望郷」はシブい白黒映画だが、なぜか筆者は中学生の頃観たことがあり、皆様御存知のように頭がいいので、細部まで覚えているのである。筆者が「望郷」という映画を知っているだけでなく細部まで記憶している事は、青部長(青きかっぱのごとき○○敬○部長)をえらく驚かせたが、筆者にしてみれば赤子の手をひねるよりた易いことである。


アルジェというのは非常に綺麗な街である。
昨日一瞬にして嫌いになった(ひと目惚れならぬひと目嫌いであろう)アホのフランス人(以後かえる馬鹿”)が過去に、てめえらさえ良ければいいという典型的な欧米的植民地支配をぶっこいた街ゆえ、ところどころにかえる臭いフランス趣味が顔を出すが、基本的には筆者好みのイスラム文化圏である。

朝夕聞こえるコーランなんざ、ゾクゾクするほど耳に心地よい。又、街がトルコに似ている。港の風景なんぞクリソツである。
ぴょっこりトルコオカマが登場するんじゃないかと思うほどである。

以上、

「筆者は一般大衆は来られないような地の果てアルジェリアに来ており、イスラム原理主義のテロさえ無視すれば、ここは非常に美しい街だよ」

という単純な自慢である。

駐アルジェ日本大使に話しを聞いたところ、昨年アルジェリアでは500人がテロの為に死んだということで毎日少なくとも一人以上テロで死んでいることになり、

「それ結構やべえじゃん」

である。

尚、アルジェの食事は、その昔かえる馬鹿どもが威張りちらしていた土地だけあって、フランス料理もどきである。

ひとつ気づいたのであるが、フランス料理というのは時間かかり過ぎである。昼飯2時間ってどういう事や?チャッチャと持ってこんかい!!腹ふくれてまうやんけ。

と、ここまで書いてようやく定説にたどりついた。

フランス料理はまじい

たくさん食べられない

勝ち負けで言うと負け

でも満腹感は得たい

しゃあないので、チンタラ出す

量は食えないが1時間前に食ったものは腹の中でふくれる

満腹

かえる馬鹿7段論法である。)

太鼓判とわたくし

パリである。

いきなり空港のBaggage Claimで荷物が出てこず、御立腹の筆者である。
まったくもってけしからんのである。“Priority”の札が付いている筆者の超高級スーツケースを、そこいらの観光で来ている馬鹿娘のクソ荷物より先に出せっちゅう話である。
ちょっとアンカラやイスタンブールのホテルのステッカーが自慢げにベタベタ貼ってあり、センスは今ひとつとは言え、”Priority”である(しかも、これらステッカーは、筆者が貼ったのではなく、トルコのホテルのあほポーターが貼ったもので、筆者のセンスではない)。
フランス人は馬鹿なので、このように簡単なこともできないのである。フランス領へ侵攻して1秒で、フランス人ぎらいになった筆者であった。


さて、初手から機嫌大ワルの筆者であるが、まずは太鼓判である。
パリまでの日本航空405便機内では、きっちり岩ジンx 3+岩しょう x 5あたりをやっつけつつも、2度目の食事をワザワザ頼んでおきながらワザワザ大半を残し、可愛い目の客室乗務員(以下”可愛い目”)に「お口にあいませんでしたか?」と言わせ、
「いや~、おいしかったんだけど、今晩”Taillevent”行くもんで・・・」
とさりげない自慢と同時に可愛い目と会話の機会を持つという超弩級高等テクニックを駆使した筆者であった。但し、可愛い目曰く、
「えー、そうなんですか!?あそこ素敵ですよねー!」
って、おのれ行ったことあるんかーーー!?!わしでさえ初めてっつーか、わしパリすら初めてなのに、貴様ごとき若造がなんで太鼓判行ったことあるんじゃー!!!


さ~て太鼓判である。
店の外に用もないのにボケーっと立っているおっさんからして気取っている。しかも(当然のことながら)フランス語である。但し、この店怪しげな日本語のメニューがある。この時点で、勝ち負けで言えば、まずは日本人1勝である。

筆者が注文したのは;

-特別な麦を使ったリゾット
-うさぎのなんとか風


である。リゾットの味は濃い目ながら許すとして、なんかホッソい骨付き肉が入っており、「これはなんや?」と聞かすと

かえるの脚」

という御回答である。かえる入ってるなら、日本語のメニューにそう書けや!!

世界中のすべての人間が日常的にかえる食うと思うなよ、こらフランス人!!

うさぎである。うなぎではない。ラビット関根である。一口食って筆者は、「うっ、これナマやんけ!」と声を出してしまった。

おいこらっ、フランス人!!うさぎを生で食わすな!!!火ィ通さんかい!!

かくして、総合的には1勝2敗というか、3勝というか、プライベートなら絶対行かん店がひとつ増えたのであった。なにぃっ?量が少ない~?当たり前である。しかもうさぎなんざ半残しである。

太鼓判<<<CoCo壱番屋である。勿論味の話であるが。

わたくしと大ボケ

筆者は今週木曜日から海外出張のつもりであった。完全にそうだと思っていた筆者であった。

従って、軍団に土産物の手配を命じ、豚彦もとい象彦の漆器を「遅くとも水曜日までに手配の事!」と偉そうにほざいたのであった。

そして、つい30分前までは、自分が木曜日に出発する事に関し、米粒ほどの疑いも持っていなかった。昨夜も倉庫からスーツケースを引っ張り出して荷造りを始め、洗濯してあるパンツなどをいそいそと詰め込んだのであった。

しか~し、ハウのエバー、先ほどなにげなくフライトスケジュール表を見ていて発見したのである。金曜日のJL405と書いてあるではないか。

あぶなく1日早く行くところであった。
だいたい今回の出張は、アルジェリアーチュニジアなのであるが、両国ともフランス語圏である。
筆者クラスになるとフランス語は、スミズミまでまったくわからん。ロシア語なみにわからん。まだアラビア語のほうがマシである。
従って、今回の出張中、筆者はまったく会話に参加できず、見事な地蔵と化す事であろう。

アルジェリアと言えば、かの名曲「カスバの女」で「ここ~は地の果てアルジェリア」と歌われたアルジェリアである。筆者は、地の果てアルジェリアで、お地蔵さんである。「カスバの女」ならぬ「カスバの地蔵(デブ)」である。行く前から「つまんなそう」、かつ「ケチがついた」である。

まっ、そうは言っても両国とも地中海沿岸である。地中海の夕陽を見ながら、ワインでもかっくらい意識を失う事となろう。
その後、イスタンブールである。ボスポラスを見ながら、ビールでもかっくらい、弟子(佐○おかま祐○)におごらせるであろう。

結局のところ単なる軽~い自慢と考えて頂ければ幸甚である。

シリーズ 昨夜のわたくし(6)

昨夜久方ぶりに、ラグビー部の先輩の○迫○司氏(180cm 105kg)とともに発狂したように飯を食い、岩焼酎をかっくらった筆者である。

気が付いたら3時である。
新宿歌舞伎町風林会館近くの場末のこ洒落た和食屋で;

・ふぐのから揚げ
・ だし巻き卵
・ まぐろかま
・ ぶり大根
・ 刺身盛り合わせ
・ さつま揚げ
・ 地鶏なんこつ
・ その他


を食らいつつ、

・ 生ビール大 x 3
・ 新品焼酎ボルト x 1
・ 焼酎グラス x 2


をやっつけたのであった。ラグビー部の先輩に飲めと言われては断れず、さすがの筆者も「やべえ。今日は落ちるかもしれん。」と覚悟したのであった。

その後場末のスナックをはしごし、気づいたら2時30分で、ようやく帰宅かと思いきや;

・ 生ビール中 x 3
・ ラーメン
・ 餃子
・ チャーハン


攻撃が待ち構えていたのであった。これで3時である。死ぬかと思ったわ。


尚、話はまったく変わるが、軍団員の中に畏れ多くも天皇陛下に手を振りやがった者がいるので、この場を借りて注意喚起しおく。

馬鹿野郎!!

今後、畏れ多くも陛下に限らず皇族にお目にかかるありがた~い機会に恵まれた者がいたら、着帽時であれば踵を鳴らして直立不動の上敬礼、無帽時であれば上半身を45度傾けて黙礼するように。

間違ってもアホ面さげて手を振ったりするなー,イケ○ワ!!

出張中のわたくし

さて、海外へ行くとなぜか少食になるのは、筆者の神経が細やかである事の証左であろうか?

特に行き帰りの飛行機の中では、酒も飲まず、Cabin Crewに
「こちらお静かね」
ぐらい言われちゃうほどおとなしく読書してすごすのである。
間違っても、岩じんを飲み倒し、泥酔して通路で転び、Cabin Crewに「大丈夫ですか?」等と言われたりはしないのである。
しかも、こういう時は、照れ隠しの為、大声の関西弁で「大事(だん)ない、大事(だん)ない」とか言っちゃうのはなぜだろうか?
だって酒タダなんだもん。まだ膝が痛えよ。

欧州線だと、行きは12時間ぐらいである。この間食事は2回出る。おやつも出る。日本時間の昼にステーキを食し、おやつに天ぷらそばをいただき、到着直前になぜかオムレツを食すと、現地時間夕方~夜に到着となり、そこから彼の地で晩飯となってしまうのは致し方なかろう。筆者としても、いかんともし難い。

かくして筆者は、ブロイラーの如く、ほとんど動かずに食し・やっつけ倒すのである。ついにはCabin Crewに「ねえさん胃薬持ってきてやー」と言って、胃薬を持ってこさせ、嫌~な顔されるのである。なんつっても一連の所業は、泥酔している上に元自衛官浅田次郎の下品なエッセイ「勇気凛々ルリの色」を読みながらゆえ、何でも有りである。

正月のわたくし

皆様お正月はいかがお過ごしであろうか?

筆者は、横浜の両親宅に居候し、愛犬のミッキー(雄11歳 食い過ぎの為ヨークシャテリアのくせに超巨大)に遊んで頂いた。

年末から6日間連続で、大量に食しかつ日本酒・焼酎・ビール・ワイン・ウイスキー等を立て続けにやっつけた為、本日に至るも完全にほろ酔い状態である。どちらかというとやや気持ち悪いのである。
6日間で空いたのは;

日本酒:2升
焼酎:3本
ビール:1ダース
ワイン:1本
ウイスキー:1本


なので、明らかに飲み過ぎであろう。

そんな筆者であるが、初日に自宅で風呂に入った時、浴室に置いてあったシャンプーの中から適当に手の届く一番近くにあったものを取って使ったのである。
これが、なんというか一言で言えば「今ひとつ」なのである。
まず匂いがださい
関西弁で言えば「もっさい」である。
まあ、老夫婦が普段使っているものゆえ、「こんなもんか」とやや悲哀を感じつつ、「もうちょっとええやつ使えや」と思った筆者であった。
「いったいどんなシャンプー使ってるんや?」と思いつつ、そのラベルを読むと、「薬用シャンプー リーベ」とある。フムフムである。

「のみとり効果」

「はあっ?!」

である。

「犬猫用」

「こらー、ちょっと待ったらんかい!!」

である。
犬シャンプーを一緒に置くなー!!!
どおも泡立ちが悪いと思ったわ。

そういえば、筆者ってば3年前に同じ事やっており、両親にモノ申したい。

「風呂場の人間用シャンプーと犬シャンプーは、よく分るように別々に置いてください!!!」

クリスマスのわたくし

ふと気がつくと、今年も一年で一番ムカつく日がやってきているではないか。
なにが聖夜じゃ!!
なにがクリスマスじゃ!!
こんな日二度と来るんじゃねえでございます。

例年このしょうむない日には、彼女のいねえ舎弟を引き連れて安居酒屋で、焼酎飲み倒して、なおかつ勘定も踏み倒して、弱そうなカップルにイチャモンをつける事を至上の楽しみとしていた筆者であるが、その舎弟軍団も櫛の歯がぬけるように結婚しやがって、今となってはダー○ツだけとなってしまった。

このダー○ツであるが、筆者的には、野郎はフルバックと考えており、ラグビーで言えば最後の砦である。
すなわち、野郎が筆者より先に嫁を娶った暁には、筆者的には出家しかなかろうという重要な存在なのである。

最近そのダー○ツが見合いをするとかしたとかいう信頼できる筋からの情報もあり、ダー○ツの幸せは己の全知全能全財力全人格全脂肪を駆使して阻止しようと強く心に誓った筆者であった。
皆様方におかれましても、万が一幸せそうなダー○ツを街で見かけたりした場合には、暖かい目で後ろからそっと射殺してやっていただきたい。

さて、問題は昨日である。
アングロ・サクソンの独善的唯物史観に毒された国賊的阿呆どもが跋扈する日である。我が敬愛する神楽坂商店街本多横丁にも、かかる国賊がうろついてやがったら即座に射殺の心意気で、横丁に乗り込んだ筆者であったが、不況のあおりであろうか、静かなもんである。
行き着けの沖縄にも客は筆者ともう一組(しけたにいちゃん二人)だけである。
ざまあみろでございます。
不況ばんざいであります。
当然のごとく心静かにひとりボルトを飲み干し、ご丁寧に新たなボルトを入れたのはいかなる心のなせるワザであろうか。

来年も読者の皆様にとって良い年でありますようにと願う、心優しい筆者であった。